第1回 岩槻城へ行こう!

岩槻市、今は埼玉県さいたま市岩槻区。2004年、市政50周年を迎えた岩槻市は、いわゆる、あの悪しき「平成の大合併」の余波を受け、その翌年にさいたま市と合併し、同市の10番目の区となった。

岩槻駅上から駅前広場を臨む

駅前広場から見た東武野田線岩槻駅

岩槻は今でも「人形の町」として名高いが、元は城下町。岩槻城は、室町時代末(15世紀中頃)に築かれたとされる。戦国時代を経て、江戸時代には有力譜代大名の居城となった。ただし、城や石垣はなく、現在残るのは土塁跡のみ。残された城の一部が公園となり、住民の憩いの場となっていた。どういうわけか、その中に、鉄子・鉄吉の喜びそうな「きぬ号」が公開展示され、異彩を放っていた。

岩槻区民憩いの場の広々とした
城址公園
きぬ号(特急電車1720系先頭車)

往時を偲ぶものとしては、城の一部としてかろうじて残された有形文化財の城門と裏門とが寂しげに建っていたが、なんと本丸のあった場所はガソリンスタンドとなり、二の丸、三の丸の跡も小さな掲示標が残るのみであった。江戸時代からの数少ない遺物の一つ「時の鐘」は、あまり品のよろしくない現代の建築物に囲まれながら、ひっそりと佇んでいた。

岩槻城表門(廃藩置県で城内より現地に移築)同裏門
(江戸後期修造の裏門と伝えられるが城内での位置は不明)
 

本丸址(説明書きの看板と石柱)時の鐘
(最初の鐘は寛文11年に鋳造され城内外の人々に時を知らせた)

町中の天保年間創業の鰻屋「料亭 ふな又(鮒又)」へ入る。決して都心の有名店にも劣らぬ店構えで、ゆったりと落ち着ける。接客もまずまずで、その味もほどよい。うな重は2600円で、うなぎ高騰の折、まずは良心的な値段だろう。

 

往事のメインストリートに面した
「ふな又」の表玄関

人通りの少ない町中にもかかわらず、妙に人の多い店を発見。魚の味のわかる岩槻の人たちでごった返していた。鮮魚店なのに屋号は「八百作」、看板にも「お魚の店 八百作」とあり、なんとも八百屋風であるのがおかしい。
たぶん岩槻で唯一の蔵元へ行く。明治初期の創業である。主な銘柄は「大手門」「万両」。
2階の展示室が広く、酒造用器具や民具等々、充実してはいたが、見学客も少ないためか、放置された感は否めなかった。その味、大手門純米吟醸はまずまずではあったが、まことに惜しい限り。

立派な店構えの鈴木酒造
(2014年6月21日周游 写真・文/霧無彦